|
|
銀座若菜について
|
|
|
頼山陽による「得月楼」の書 |
創業当初、昭和20年代の本社工場 |
昭和30年代の銀座本店 |
銀座若菜の歴史
若菜が銀座7丁目(当時の銀座西7丁目)に店を構えたのが昭和28年のこと。戦後の荒廃から立ち直りつつあった東京の中心地で、料亭「得月楼」から受け継いだ奈良漬を中心に、ピクルスなども販売するお店として営み始めました。全国から人が集まる銀座の地では、お客様からいろいろな情報や要望が寄せられます。やがて、お店は、50種類以上の漬物を品揃えする、諸国名産の漬物屋として評判を博すようになりました。長野の野沢菜漬や山形の温海かぶらも、そのようにして銀座経由で全国への知名度を高めた漬物です。
昭和40年代には業界に先駆けて浅漬の販売に着手し、自社オリジナルの漬物が数々誕生しました。昭和50年代には産地へのこだわりから契約栽培での原料入荷体制を確立し、また、浅漬パッケージの生産体制を拡張して高級スーパーマーケットへの納品も開始しました。さらに、昭和60年代、羽田空港内の売店に出店したのをきっかけに、東京みやげの漬物を充実させてきました。
現在、銀座若菜は、百貨店やエキナカ、羽田空港の店舗を中心に、サラダ感覚の浅漬や旬の果物を使った漬物などを販売しながら、新しいスタイルの漬物づくりについても模索を続けています。
昭和21年 |
得月楼の漬物部門を引き継ぐ形で奈良漬の製造を始める。 |
昭和26年 |
名古屋に“おつけもの得月”を開店。 |
|
(文政11年創業の頼山陽 命名による料亭「得月楼」を改称) |
昭和28年 |
丸栄(名古屋栄)に出店。 |
|
東京・銀座に“おつけもの若菜”を開店。 |
|
(若菜の商号は作曲家山田耕筰先生の命名) |
昭和31年 |
株式会社若菜を設立。山田清三社長に就任。 |
|
梅干・らっきょの製造を開始。 |
|
東急百貨店に出店。 |
|
本社に漬物研究室を開設。 |
|
銀座三越、三越日本橋本店への出店 |
昭和41年 |
浅漬けの製造を開始。 |
|
名古屋オリエンタル中村(現・名古屋三越) に出店。 |
|
小田急百貨店に出店。 |
昭和49年 |
東京・世田谷代沢に東京営業所ならびに配送センターを開設。 |
昭和51年 |
新工場開設。パッケージ商品の量産体制を備える。 |
|
スーパー卸部門開始。 |
|
主要な原料を減農薬・無農薬・有機野菜に転換。 |
昭和53年 |
成城石井との取引を開始 |
昭和60年 |
名古屋の「得月」を改め、称号を“若菜”に統一。 |
昭和61年 |
本社に直営店を開店。 羽田空港に直営店を開店。 |
平成 2年 |
山田謹一 社長に就任。 |
|
松阪屋名古屋店に出店。 |
平成 5年 |
株式会社銀座若菜の設立 |
平成10年 |
東京大丸に出店 |
平成17年 |
中部国際空港(セントレア)に直営店を開店。 |
|
ecute大宮・ecute品川に出店。 |
平成22年 |
東急フードショー、アトレ吉祥寺店への出店 |
平成28年 |
山田耕平 社長に就任 |
平成29年 |
伊勢丹新宿店への出店 |
会社概要
社 名 |
株式会社若菜 |
屋 号 |
銀座若菜 |
所在地 |
〒104-0061東京都中央区銀座6-6-1 風月堂ビル |
TEL |
03-3412-5161 |
設 立 |
昭和31年2月28日 |
資本金 |
2400万円 |
代表者 |
代表取締役社長 山田耕平 |
従業員数 |
150人 |
売上高 |
15億(平成21年度) |
事業内容 |
漬物およびその関連商品の生産と販売 |
事業所 |
銀座本店 東京都中央区銀座5−6−12
本社工場 愛知県海部郡蟹江町蟹江本町ヤノ割46
東京営業所 東京都世田谷区代沢4−2−17 |
|
|
|
|